昭和四十一年八月九日 夜の御理解
信心の稽古をさせて頂く。信心の稽古をさして頂く者、どういう心掛けで信心の稽古をさせて頂いたら良いかとよく聞かれる事ですね。どういう心掛けでおったらいいだろうかと。こう云う様な気持ちであったらいいですね。以前例えば、洋室なんかに入るときには必ずノック致します。そしてどうぞと言われなければ入らない。ですからどんな場合でも金光様と唱えさせて貰う。どんな場合でもお伺いする気持ちで、又心の中で許された気持ちでことが為されていくと云う様な気持ちでおれと云うことを何時か頂いたことがあるんですけれども、今日頂きましたことはですね、長い台に二人で腰を掛けとりますでしょ、片一方が黙って立ったらもう一人はひっくり返ってしまうですよね。そんな事がありましょうが、人が掛けておるのに一人が黙って立つもんだからひっくり返ってしまう。
例えばノックして入ると云うような気持ちと云うだけではなくてですね、私共が信心させて頂きよってから何事も神様に一切あなたにお願いしますと言いながらです、私共が黙ったと云う様なことをするとですね、神様がひっくり返りなさると云う気持ちなんです。だからそういう事をいつもするから、神様が黙んなさる。だからこっちがひっくり返らんならんと云うことになるのです。
ですからここのところを何時も声掛けさせて貰って、ここで立ちますよと言って、例えば神様がその積もりでおられる訳なんです。そういう心掛けなんです。それだったらひっくり返りようがない。 私共神様をいつもひっくり返すような事をしよるからそれが貯って、こちらがひっくり返らんならんようになってくる。それをお気付けと云います。お前がいつも黙って俺をひっくり返すからと云うて、たまには神様がお気付け下さるのです。
ですから神様立たして頂きますと本当に私共おかげ頂きましてから、縦になろうが横になろうが立とうが座ろうが御神縁頂いてという。そういう心持ちで立たして頂くのです。
信心を進めて行く、信心をさして頂く者はそうい心掛けが要るのです。又事実ですね、例えばひっくり返らんならん時にはです、日頃神様にですね、無断で黙って立ってたって神様をがっかりさせたと、神様を、いわばひっくり返すような事をしておるから、ひっくり返らんならんのです。 信心させて頂く者はここんところの心が必要です。
なら、いちいち御神意が分かりませんから神様にお願いしてから、自分の心の中に神様がお許し下さったという感じがなからなければです、動かんと云うくらいの真剣な信心をさせて貰ったら、信心の稽古をさして頂きよると云うことが云えるのじゃなかろうかと思うですね。 どうぞ。